来日外国人選手列伝 Part7:2000
    Foreign Plyers in Tigers

NO./登録選手名/本名/@守備 A阪神在籍年度 B阪神在籍時成績 Cタイトル他 D寸評

58 タラスコ 
Tony Tarasco
@外野手(背番号42) A2000年 B102試合380打数91安打19本塁打57打点 打率.239 
CD96年彼がオリオールズ時代、ヤンキースとのリーグチャンピオンシップの第1戦、D.・ジーター選手のフライを捕球する時、フェンス際で少年ファンにボールを取られるという事件がありましたが、このときボールを取られた外野手がタラスコです。
96年10月9日、翌日のニューヨークポスト紙の見出し「外野に天使がいた」、このチャンピオンシップを制したヤンキースは15年ぶりにワールドシリーズ出場を果たす)
さてさてエキスポス・ブレーブスで活躍した彼は外野守備のうまさには定評があったようです。問題は打撃、もともとツープラトン対右投手用の選手だったためでしょうか、左腕それも大きなカーブを持つ左腕が苦手でしたね。岡島(G)・山本(YS)あたりが天敵で、三振のあと「お手上げだぜィ」みたいなゼスチャーを見せていたことがありました。まあ、それでもシーズン当初はポイントゲッターとして活躍しチームの勝利に貢献、一時期わき腹を痛め、戦列を離れたこともありましたが、復帰後も残留をアピールするためか(粗くなりつつも)ホームランを量産していたのは記憶に新しいです。
それからエピソードも豊富な選手で、いままで在籍した選手と違いファッションやダンスなど都会的センスに溢れた話題も多かったですね。また、彼自身映画の出演経験があること、マライア・キャリーのバックダンサーだったフィアンセに子供ができたことなども話題になりました。


PICK UP Talent for the Game (c)1991 by Paramount Pictures. トニー・タラスコが出演した映画「ドリームゲーム〜夢を追う男〜」原題Talent for the Game=i91年米国)。主演はエドワード・J・オルモスという渋い俳優さん、タラスコはちょい役。ロイヤルズの打者として登場し、三球三振してます。

59 バトル 
Howard Battle
@三塁手(背番号99) A2000年 B13試合44打数10安打1本塁打1打点 打率.227
CD2月の安芸キャンプ合流のとき、オーバーウエイト気味の身体と鈍いバットスイング、緩慢な守備で首脳陣を大いに失望させてくれました。調整遅れは一目瞭然で3月のオープン戦も不調のまま消化し、開幕をニ軍でスタートさせたのは「助っ人」として情けないかぎりです。トホホですな。
4月一軍合流直後、偶然にもチームは連勝モードになりラッキーボーイ的な持ち上げられ方をされたこともありますが、彼自身のバットでは勝利に貢献することもないまま野村監督に見切られました。
帰国後、2000年のシーズンはルイスビル(AAA)でプレーし、2001年はリッチモンド(AAA)の四番サードで打率.276、本塁打10、打点76を記録、チーム選考の優秀選手に輝いています。


60 ハンセル 
Greg Hansell
@投手(背番号49-14-42) A2000〜02年 B52試合12勝21敗投球回281 防御率3.81 
CD196cmの長身から投げ下ろす速球は常時145キロを超え、いかにも野村監督が好みそうなタイプの投手です。テリー・ブロス投手(YS→L)とかもこういうタイプでした。それにガタイもいいのでタマにウエイトが乗る感じで球質も重く荒れダマでもあり、全体的な雰囲気として威圧感のあるのも頼もしい限りです。
ピッチングスタイルはコントロールよりも重いストレートを中心にスライダー・チェンジアップを織りまぜて球威でグイグイ押していく荒れダマタイプ。そのためにどうしてもタマ数が多くなってしまうのが難点といえば難点です。従って6回ぐらいに投球数が100を超え途中降板するためか、後の投手にゲームを託さざるを得なくなり結構勝ち星から見放されているといえます。
2001年は5勝13敗(リーグ最多敗戦)ながら、マスコミ・評論家からは逆の13勝5敗でもおかしくない、とか、野村監督からは「近鉄いてまえ打線(がバック)なら20勝はしたかもな」という慰めのコメントをもらっています。2002年も貴重な先発ローテーション投手として活躍を期待しましょう。


61 ラミレズ 
Roberto Ramirez
@投手(背番号62) A2000年 B9試合1勝3敗投球回35.2 防御率5.55 
CDメキシカンリーグ時代は「機関銃」というあだ名があるほどの速球派投手だったらしいのですが、まだ28歳なのにその面影はなくストレートがMAX138キロ!、どちらかというとスリークォーターから変化球(シンカー・カーブ)で勝負するタイプの投手でした。
2000年シーズンは外国人投手一軍枠2人分を3人で競わせるという形でスタートしましたが、ストッパーに指名されたミラーが常時一軍在籍ということで事実上ハンセル、ラミレズで残りの1人分を競う形となり、どちらかが一軍登板した直後二軍に落され次の当番機会に再登録という何とも変則な起用法となりました。
こういった調整しづらい環境に、精神的に追い込まれ潰れていったのがラミレズの方で、生き残ったのがハンセルということです。
4/12読売戦(甲子園)5回を被安打10失点3でノックアウトされたものの、4/19(東京ドーム)では7回を失点1(清原への押し出し死球のみ)で来日初勝利、これが唯一の勝星ながら見事リベンジを果たしています。


62 フランクリン 
Micah Franklin
@外野手・三塁手(背番号99) A2000年 B8試合29打数5安打2本塁打6打点 打率.172 
CD外国人野手がダブつく日本ハムから6月末金銭トレードで獲得した期待のスラッガー。この年日本ハムはウィルソン、オバンドーの2人を使い、前年30本塁打80打点のフランクリンをスペアとして二軍に置くという(右手首故障で一時帰国)なんとも贅沢な布陣でした。
日ハムそれに近鉄の外国人選手調査能力・獲得ルートはほんとにうらやましいかぎりです。
さてフランクリンは、7/4〜6の対広島戦(大阪ドーム)で三番サード!(本職は外野)でデビュー。この3連戦で2ホーマーを放つなどして「ひさびさのホームランバッターだ」とトラファンをよろこばせてくれたものの、それ以後は一発狙いの豪快?なスイング。
20打席ノーヒットを記録し完全にメッキがはがされてしまったようです。結局ケガ(骨折)もあって力を発揮できないまま退団したのは寂しい限りです。


63 ハートキー 
Jason Hardtke
@三塁手(背番号61) A2000年 B76試合302打数82安打4本塁打27打点 打率.272 
CDバトルの後釜として急遽獲得したスイッチヒッターの三塁手。AAAクラスの選手で構成するシドニー五輪アメリカ代表候補選手で、北米予選7試合をすべて三番サードで出場した中心メンバー。来日しなければそのまま五輪に出場していたはずで、その名誉を捨てての阪神入団です。(シドニー五輪はアメリカが優勝)
4/20来日し、5/3ウエスタン出場、5/6一軍デビューはスタメンで出場、一時左脇腹を故障し欠場したものの、ミート中心のバッテイングは後半戦だけなら打率.298の成績を残しています。
スイッチヒッターでユーティリティープレーヤーとして内外野どこでも守れるというのが「売り」でしたが、ウイークポイントはジャストミートしてもオーバーフェンスしない打球(涙)。三塁守備ももう少し安定感があれば申し分ないのですが、76試合出場で14失策もあるのはいただけません。


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